絶対数が足りない

今日も国旗・国歌論争の話.

もし強制反対の教師たちがその指導に従わぬ生徒に「先生の言うことを聞きなさい」と強制しても「これは思想信条の自由です」と反論されたらどうするのか。

http://www.tohkaishimpo.com/scripts/column.cgi

この問いに対する答えがずっと思い浮かばず,2,3日歩きながら考えたりしていました.そんな中で,一つの回答を導く糸口となったのが以下のエントリ.

“「日の丸」をかかげ、「君が代」をうたうことは、まったく何の感情もひきおこさないニュートラルなものではない、そう感じる人が一定数いる”としたのである。これは、ぼくが市教委に申し入れたのとまったく同じ観点である。「自分がそう感じなくても、そういう人がいるのは理解できるでしょう?」。

http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/chisaihanketu.html

ここで重要なのが“一定数いる”ということ,もう少し付け加えると,“一定数いると認識させる”ということです.実際問題として,都教委に対する一部教師の反発と上記で挙げられているような教師に対する生徒の反発との間には,大きな差異は存在しません.では,どこが違うのかと言うと,それは,その意見を後押しする人の数ではないかと思います.仮に,先生に対してある生徒が“これは思想信条の自由です”と言ったとしても,周りの生徒達からは“また,DQNが何か言っているよ”と失笑を買うだけでしょう.自分の主張を認めさせるためには,その主張の是非以外にも,その主張に賛同してくれる人を集めるということも重要になってきます.

小欄の体験からすれば、小、中、高と学校でそんな論議などなかった。“異変”が起きたのは、日教組が先頭に立って反対を言いだしたあたりからである。それ以前の教師たちに思想も信条もなかったとは言い切れまい

http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50632808.html

実際,上記に挙げられているようにこの問題に関しても,以前は問題にすらなりませんでした.今回の議論を契機として,何人かの人が自分の過去の実体験を書かれていたりしますが,その人達の行動(国旗掲揚,国歌斉唱時に起立しないなど)に対する周りの反応は,先に挙げた反抗した生徒に対する周りの生徒達の反応に近いものであったようです.現在,この問題が社会問題と化すまでの議論に発展したのは,先頭に立って走っている人達が,裁判で“一定数いる”と認められるほどの人数を集めることができたからではないかと思います.

以上から,“「先生の言うことを聞きなさい」と言われたらどう反論するのか”に対する一つの回答.

絶対数が足りない

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