18歳の君たちに告ぐ,取りあえず東大へ行け

「センター当日にこれはないわ・・・」みたいな反応が見えたので,受験生が希望を持てるような煽り記事を書いてみます.ちなみに私自身は東大出身ではないのであしからず:p

「東大」と言うブランド

一つ目のメリットとしては,様々なところでよく言われる事ですが,「東大」と言うブランドを獲得できる事が挙げられます.

日本の大学へ行ってはいけない理由 - elm200 の日記 でもそうですが,他の大学出身者に比べて東大出身者は「東大出身である」と言う事を明言する傾向にあります(その他だと京大,早稲田,慶応辺りか.情報系だと筑波も強いようです).これは,彼らが「東大」と言う名前のブランドをよく理解しているからだろうと思います.

「東大」と言うブランドは,日本では依然として大きな価値を持っています.学歴だけで判断される時代ではなくなったのは確かですが,それでも「武器の一つ」として「東大」と言うブランドは非常に魅力的です.もし,海外に出て失敗して日本に戻ってきたくなったとき,「東大」と言うブランドは日本で復帰するための「武器の一つ」として大きな助力となってくれるでしょう.

また,「東大」のブランドのもう一つのメリットとして,在学期間中に(本人にその気があれば)「海外留学」や「海外インターンシップ」のような様々な(おいしい)話にありつける(応募できる)と言う事が挙げられます(東大の内情を知らないので,あくまで自分の大学での状況からの推測ですが).これらの多くは,無償(または限りなく少額)で 1 〜 数ヶ月程度海外に滞在する事ができます.海外で自分の実力を試してみたいと言う「やる気のある」人にとっても,全て自力で道を切り開いていくよりもずっと効率的に目的を達成する事ができます.

凄い奴を見つける場としての「東大」

やがてもちろん、高等教育の見返りがじり貧になっていったせいで、教育産業そのものにも危機がおとずれた。学位に経済的な価値がほとんどないのに、なにが悲しくて学生は4年も大学にいき、さらに大学院で数年すごしたりするもんか。いまでは、職業訓練6ヶ月から12ヶ月しか必要としない仕事――準看護士、大工、家政業(かつては無給の扶養家族が行っていた家事のほとんどを置き換えた職業)など――は、修士号取得者と同じくらい稼げるし、まして博士号取得者などよりずっと高給だ。だから大学への進学率は、世紀の変わり目をピークに、いまではもう 1/3 になってしまった。

多くの高等教育機関は、この厳しい環境下では生き残れなかった。有名な大学のほとんどはなんとか生き延びたけれど、でもその性格は変わり、昔の役割に復帰することになった。いまではハーバード大学のようなところは、19 世紀と同じで、学術研究の場というよりは社交の場となっている――裕福な家庭の子女が社会的な立ち居振る舞いを洗練させ、同じ階級の人々と親交を深める場だ。

White Collars Turn Blue: Japanese

個人的には,学生として在籍している場合,大学の役割は「社交の場」だと考えています.「社交の場」と言うと,色恋ばかりに現を抜かすとか,慣れ合いサークルでのらりくらりするなどと言ったネガティブなイメージが先行しがちですが(私自身はそう言った社交も悪いとは思わないが),ここで言う「社交の場」とは「凄い奴を見つける場」と言う意味です.

先のブランドとも関連しますが,「東大」には(少なくとも日本社会では)まだブランドとしての価値が残っているため,有能な人達が集まってきやすいと言う性質があります.私は大学としての教育能力はよく分からないのですが,自分の今後の人生を左右するような凄い奴を探す場として「東大」を利用するのも悪くないのではと思います.

いつレールから外れるか

人生の進路に関する話は「いつレールから外れるか」と言う問題に帰着します.皆が皆,好き勝手に生きられると収集がつかなくなるので,社会は「生き方」に対していくつかのレールを提供しています.そのレールは,死ぬまで続いている事もあれば突然ぷっつりと途切れてしまっている事もあります.そして,高度経済成長時代やバブル時代ではそのレールが(多くの場合)死ぬまで続いていました.

しかし,幸か不幸か現在の日本社会においては死ぬまでレールが続いていると言うケースが稀になってきました.そのため,現代に生きている多くの人達は,いつかレールを外れて自分の判断で進んでいかなければなりません.この「いつレールから外れるか」と言うのが,現在の日本社会における個人の大きな課題だろうと思います.

個人的には,このレールから外れる時期が 15 歳と言うのは早いのではないかと感じています.15 歳では多くのものから遮断された状態にあり,一生を左右するような決断をするには知識不足であると言う感が否めません.

現在の日本社会では,大学入学を「一つ目のレールの終着点」と設定しています.これは,バブル期以前であっても同じだったように感じます(違いは,大学卒業後に別のレールが用意できていたかどうか).「卒業」よりも「入学」に重きを置く傾向が強いのもこのせいだろうと思います(一つ目のレールをきちんと完走できたかどうか,と言う評価指標).そして,私自身はこのシステムはそこまで悪くはないのではないか,と感じています.

そんな訳で,私の主張としては,特に明確な目標が立てられないなら一つ目のレールを最高の形で完走する(≒「東大」に入学する)まで待ってみるのも悪くはないのではないかと言う事です.それこそ,いろいろな所で言われている通り「人生は長い」訳ですし,日本に絶望して世界(世界てどこだろう?)へ逃亡するのは 19 歳でも遅くはないと思います.

もう一つ別に思ってる事があるのですが,それは突っ込みが入ったらと言う事にします.