Web 上では喧嘩が多い

Web 上では現実世界に比べて口喧嘩が多いと感じる事がよくあります。この事は Togetter 等で Twitter 上での喧嘩のまとめを見る機会が増えるにつれて、さらに強く感じるようになりました。

これは現実での喧嘩が、それなりに高度に構築された人間関係の上で成立している事を示している。つまり喧嘩する両者の間には何らかの接点が存在し、それを元に何らかの人間関係が築かれている筈なのである。お互いに仲が悪い場合も有るだろう。しかし現実に於いて仲が悪い二人は、意識的に互いの距離を取る事が多い。仕事の都合など回避不能な場合を除いて、仲が悪い人間とは一緒に居ないものである。

…(中略)…

一方でネットでは不思議な事に、仲が悪い同士でも接点を持とうとしてしまう傾向が有る。例えば「このサイト、いつも言ってる事がムカつくんだよなぁ」とか思っても、そのサイトを見続けてしまうというケースが多いのである。「ムカつくなら見なけりゃ良いのに」という感じだが、その論理がネットで通じない事は某巨大掲示板での“叩き”や“粘着”を見ていれば明らかである。

…(中略)…

基本的に仲が悪い者同士が喧嘩するのだから、仲はもっと悪くなる。どちらも“大人な心”を持っていないのだから、譲り合いなど起きようも無いからだ。泥沼である。どちらかが喧嘩に飽きるまで延々と誹謗中傷が繰り返され、後には当事者の不快感と傍観者の脱力感が残るばかりである。

http://homepage3.nifty.com/logical/column156.html

Web 上での喧嘩の特徴の一つに「(Web 上においてですら)ほとんど人間関係の構築されていない人達が突然喧嘩を始める」と言うものがあります。出会って初めての言葉が「おいこら*1」である事も多く、それこそ現実世界では DQN と呼ばれる人達に絡まれる位でしか経験できないようなシチュエーションで喧嘩が始まったりします。

Web 上と現実世界での違いの一つとして、気に入らない言動を見たときに発生する感情の差があるような気がします。Web 上でも現実世界でも、自分の気に入らない言動を見たときには不快感が発生するのですが、Web 上ではその不快感に「言い返したくなるような怒りの感情」が伴うのに対して、現実世界では「危険そうだからなるべく関わらないようにしよう」と言った怒りとはちょっと違う感情が先行するように思います。

これは、Web 上ではそこに示されている文章しか判断材料がないのに対して、現実世界では言動の内容から発生する感情よりもその人の身なりや口調を見る事から発生する「こいつと関わるとヤバイ(身の危険を感じる)」と言った感情が勝ってしまうためなのだろうなぁと言う気はします。その意味では、Web 上では「発言の内容のみで評価している」と言えますが、それが良いのか悪いのかは何とも言えないなと言うのが最近の感想です。

それが気に入らないつーか鼻について嫌な奴は、別に見に来なくてもいいよ。どうせ私が言う程度のことは、タイミングの前後はあろうと、同じようなエントリが書かれるんだから、無理に嫌な思いをしてまで見ることはない。もっと好きな人が書いた時にでも読めばいい。

「上から目線」の次は「ドヤ顔」か | おごちゃんの雑文

「Web 上での喧嘩を無視する事は、そこから得られるかもしれない(有用な)結論を失う事になるので損だ」と言った類の主張を見かける事も多いですが、Web 上において「今、そのタイミングでないと見られない類の話題」と言うものはかなり稀で、多くのものは何度も語り尽くされている問題だったりします。その意味では、不快感を抱いたままその喧嘩に臨むよりは、スルーして(同じ話題の)別の機会を待つと言う方が良いのかなと言う気はします。

実感レベルですが、twitter 等の Web サービスが流行る事で、ほんの数年前と比較しても Web 上に流れる情報量は加速的に増加していっています。その意味でも、これまでよりも一層「Web 上の情報をどのようにフィルタリングしていくか」と言った事を真面目に考える必要があると言う実感がより強いものとなってきています。

*1:実際には、もうちょっと内容の批判が含まれている場合がほとんどですが。