mixi 疲れと Twitter 疲れと Facebook 疲れと

ひとはなぜフェイスブックで「いいひと」を演じてしまうのか問題 - night and sundial diary を読んで、「○○疲れ」と言う言葉を思い出しました。この類の話で最初に思い出すのが「mixi 疲れ」ですが、Twitter でも一瞬だけ「Twitter 疲れ」と言うものが話題になった事がありました。

上記は、当時 mixi で問題になっていた事を Twitter に当てはめたネタ記事 (2007/04/18) だったのですが、個人的には数ヶ月くらい後には上記のような問題提起を行う記事が活発に取り上げられるんじゃないのかなぁと思っていました。しかし、実際には取り立てて大きな話題にはならずに、RT チェーンにしても Twitter 疲れにしても実際に起こった問題として話題になったのは 2009 年に入ってからでした(Googletwitter 疲れ」、kanose/Twitter 辺りをざっと見た限りですが)。

なぜ今になってようやく「Twitter疲れ」が話題になるのか? - Life like a clown

Twitter は、2009 年の「広瀬香美のヒウィッヒヒー事件」を機にそれまでとは気質の異なる、所謂「一般層」が数多く流入してきました。これらの「一般層」は、これまでのネット上での活動をメイン、もしくはネット上の活動と現実世界での活動を明確に区別しているような層とは異なり、現実世界で顔を見知っている人達との交流をメインに行う傾向がありました。その結果、それまではあまり話題にならなかった「Twitter 疲れ」が問題の一つとして語られるようになりました。

しかし、結局、この問題がそこまで大きく取り上げられる事はありませんでした。理由としては、「他に大きな問題(バカ発見器問題など)があるため見向きされない」、「現実世界での活動をそのままネットに持ち込んでいる、所謂、一般層は Facebook 等の別の Web サービスに流れている」等いくつか考えられますが、何が決め手なのかは不明です。

仕事と関連性を持ちやすい Facebook

Facebook では「いいひと」を演じやすい理由の一つとして、現在の日本の状況的に「Facebook は仕事と紐付けられやすい」と言う事もあるのかなと言う気がしています。実際に自分の見聞きした範囲でも、広告代理店系の人は「Facebook ですよ!Facebook ですよ!Facebook ですよ!」と言う感じですし、「やりたくはなかったんだけど、仕事上の関係で仕方なく始めた」と言う話も聞きます。

また、ユーザ層の年齢別分布を見ても面白い傾向が見られます。

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http://socialrecruit.jp/closeup/fbuserage1204/

これを見ると、22 歳が頭一つ出ている事が分かります。何故、22 歳前後のユーザが多くなるかと言うと「就職活動で利用するから」と言う理由があるのは想像に難くありません。この理由で始めた場合、始めた動機自体が「就職活動で有利になるような自分を見せるため」なので、どうしても「いい人」、「凄い人」を演じてしまう傾向が出てきます。このように、始めた動機自体が「趣味で楽しむため」ではなく「いい(凄い)自分をアピールするため」と言うユーザ層が他の SNS に比べて多いのも、そう言った性質(いい人を演じてしまう)に結び付いているのだろうと推測されます。

話が少し逸れますが、スラッシュ族は死んだのか?〜大学生のTwitterプロフィール欄は要するに自慢したいだけ。〜 - Real Tech Ltd. と言う記事に「最近は記事にでてくるようなTwitterで自慢しまくる大学生も減ったなぁと感じている」と言う注釈がありましたが、個人的には上記のような状況もあって、そう言った「自分をアピールする」ユーザ層の主戦場が Facebook に移っているのではないかと言う気がしています。

とある Facebook 疲れの未来(ネタ)

Twitter 疲れが話題に上ったときに、とある Twitter 疲れの未来 - Life like a clown にて改変ネタを一つ投下しましたが、これと似た状況が Facebook で起こっているのかもしれません。

セカンドライフを古くしたやつと Facebook 疲れをもたらしたやつの正体がわかったよ。正体わかった瞬間からだが震えたよ。まじで。

あからさまにいうとさぁ。賢いスーツな奴らと、頭の固くてあわれなおやじの歴史だよ。

最初は、セカンドライフだよ。これからは、バーチャル店舗が主流になって、もう現実世界の店舗はいらなくなる。パソコンの前にいて、必要なタイミングでキーを叩くだけで即座に商品が入れ換わる。現地に運搬するような余計なコストはもう必要ありませんよみたいな。最初にね、キャッチーな言葉とともに、あらたなサービスを広めようとするのは、賢いスーツなやつらよ。

やつらは賢い。そして悪人じゃない。最初は本当に良いと信じてるんだからさ。でも、悲劇はその後起こるんだよ。賢いスーツなやつらに「これからはセカンドライフだ」と信じ込まされたおやじはさぁ、なんでもかんでもセカンドライフで宣伝しようとするわけよ。それがさぁ、悲惨な結果になったのは周知のとおり。

スーツな奴らは賢いからさぁ。セカンドライフがうまくいきそうにないことを知るとさっと逃げ出す。でも、これも悪いことではないんだよ。状況を的確に判断してさぁ、行動するのはあたりまえ。悲惨なのはさぁ、頭の固いおやじの下で働いている従業員たち。彼らのことを思うとホントに心が痛む。商品のグラフィック作るのめんどくせー、客がいねー、そもそも誰もいねーと思って、頭の固いおやじにいっても聞いてくれないんだよ。これからはセカンドライフに決まっているだろう、今のうちに先行者利益を確保しておくんだとかいってさ。

この後が Twitter だよ。Twitter。賢いスーツな奴らがいうんだよ「この画面を見て下さい。これだけのフォロワーの人達に私のつぶやきが瞬時に伝わるんです。これは凄い宣伝効果です」みたいな。「口コミマーケティングです」みたいな。賞味期限 1日だけどさ。

Twitter は口コミマーケティングの新しい可能性を見せてくれた。でもかわりに有名人によるステルスマーケティングの地獄も残してくれたけど。でも、これは Twitter が悪いんじゃない。常に「無法地帯と正常化」の歴史なんだ。

そんなさぁ、スーツな奴らの次のターゲットになったのが Facebook だよ。いつものごとく、スーツな奴らは煽る訳よ。「実名で安心な SNS です。いいね!ボタンやシェアボタン経由でどんどん宣伝されていきます」みたいな。「いいね!いいね!いいね!」みたいな。

Facebook を宣伝に使うのは全然構わないんだ。でも、スーツな奴らに煽られたおやじは変な認識を持つわけよ。さらに、部下達に「これからは Facebook だ。お前も Facebook のアカウントくらい持っていなくてどうする」とか言い始めるおやじも現れる。そうすると、また悲劇が起こるわけよ。

FacebookFacebook 疲れをもたらしたのは、頭の固いおやじたちさ。俺達は、Facebook はそう言うものではないんですよ、身内だけで趣味的な使い方をする人もいっぱいいるんですよ、と必死に説得するんだけど頭の固いおやじたちは聞く耳を持たないんだ。

おやじに関わる人達は、Facebook のアカウント持ってしかも仕事関係の人達とも繋がらないといけなくなる。そうすると、いい人を演じなければならなくなる。それに対する強迫観念が、多くの人達に Facebook 疲れをもたらしたわけよ。

Inspired by Javaを古くしたやつとRubyを煽っているやつ - yvsu pron. yas

再改変ネタをまとめ代わりにして終わろうと思います。