逆転の発想

ふと思ったこと.本当かどうかは不明.

ライブドア株暴落 子供投資家も想定外 授業の合間、一喜一憂 という記事を読んでいて,ちょっと気になる箇所がありました.

経済ジャーナリスト、森永卓郎氏の話「子供が株をやることはあまり勧めない。お金の役割を勉強することは必要だが、お金がお金を生むことを子供たちに見せてしまうのは好ましくない。株式市場の役割は本来、リスクのある事業に投資者が出資し、うまくいったら配当を受けるもので、株の売買でもうけるのは本来の姿ではない。堀江容疑者のやり方はマルチ商法に極めて近かったと思う。一昔前はメンコやビー玉など遊びの中にお金の要素が組み込まれていたが、今はそういう遊びがなくなり、教育しなくてはならなくなった。子供たちは一度味をしめてしまうと、真面目に働くことができなくなってしまう。そういう意味で今回の事件はいい教訓を残した。もう二度と堀江容疑者を作り出してはいけない」

この文章の一昔前はメンコやビー玉など遊びの中にお金の要素が組み込まれていたが、今はそういう遊びがなくなり、教育しなくてはならなくなった。という部分.ここで,メンコやビー玉にどのようなお金の要素が組み込まれているのか不明なのですが・・・そんなことを考えているうちに思ったこと.

今回の話に限らず,昔の(既に廃れてしまった)ものに対して,学ぶべきものが多いといった論調で語られる事が多々あります.私は(その指摘が事実な場合もあるのかもしれませんが),本質的には発想が逆ではないのかと思いました.つまり,現在の(社会を動かしている)大人が何かを行おうとした場合,それまでの経験が密接に関連してきます.現在の大人が何か物事を考えるとき,それを最も単純化した例として(メンコやビー玉などの)自分が昔遊んだものが現れてくる.その結果として,それらの遊びと現在の社会の要素が関連してくるのではないかと.

最終的には同じことを言っているようにも見えますが,この考えを基にした場合,その遊びは必ずしもメンコやビー玉でなくても良いということになります.現在の子供が大人になって社会を担っていく頃には,またその世代の遊びが密接に関連してきたりするのではないのかなぁと.なので,今はそういう遊びがなくなり、教育しなくてはならなくなったという考えで,現世代の大人の常識で教育を行った場合,数10年後には逆にそれが足枷になる可能性もあるのでは・・・?と.