``タメにならない’’という正当化

Mugi 2.0: ブログに冷めてしまったときというエントリを読んでいて,ちょっと思い出したことがあったので今日はそのお話.

この「〜したからといって幸せとは限らない」というお約束の言葉は、女性から発せられることが多い。男性でこのセリフを言う人はあまりいない。男性は女性よりも抽象的な話が得意なのだが、「幸せ」という言葉は使いたがらない。


・・・(中略)・・・


ある行動は、必ず幸せにつながるわけではない。だから、「幸せとは限らない」という言葉は正しい。正しいというよりも、当たり前のことを言っているだけで、何か意味のあることを言っているわけではない。ただの気休めか、自分や他人を納得させるための言葉だろう。


Simple: 「幸せとは限らない」という正当化

男性が``〜したからといって幸せとは限らない''という言葉をあまり言わないらしいのですが,``〜をしても何のタメにもならない''という言葉は比較的良く使っているように思います(この言葉は,男性だけという訳ではないと思いますが).個人的には,``タメになるとは限らない''が正しいと思うのですが,まぁその辺は置いておいて.こちらも,ただの気休めか,自分や他人を納得させるための言葉として使われることが多いように感じます.

さて,上記のエントリに限らず``少しでもタメになる(ように見える)趣味や遊び''を持とうとする人は数多く存在します.ニンテンドーDSのフィーバーぶりもその心理によるところが大きいのでしょう.ただ,実際問題として``タメになる遊び''はかなり少ないと言えます.その結果,``この趣味は私のタメになっているのだろうか''という疑問とプレッシャが強く圧し掛かってきます.

さて、この「幸せとは限らない」という言葉が有効であるためには、ある前提が必要となる。それは、個人の幸福に価値があるという前提である。幸せに価値があり、幸せになることが人生における目標となっているから、「幸せとは限らない」と言って他人や自分を納得させることができるのである。


・・・(中略)・・・


人間、べつに幸せになる必要はないと思う。今の日本は、不幸であってはならないというプレッシャが強く、それがますます人を不幸に追い込んでいるような気がする。


Simple: 「幸せとは限らない」という正当化

人間,別にタメになることをやる必要はないと思います.昨今では,``常に何かタメになることをしなければならない'',``こんなものなど時間の無駄使いだ''というプレッシャが強く,それがますます人を不幸に追い込んでいるような気がします.

別に幸せにならなくても良いのだった:p