本当の○○○

今回は,“本当の○○○”というお話.

日常生活を送っていると,“本当の〜”という言葉を良く耳にします.それは,言葉の正しい使い方から始まって,“本当の愛”などの抽象的な話まで多岐に渡ります.そして,多くの人がこの類の話題に良く食いつきます.

自分の意見を他人に納得させようとする場合(その意見が少数派に属する場合は特に),有効な方法の一つとして“本当の○○○”を語るということが挙げられます.ここ最近の経験例では,“謝辞は本当にお世話になった人にしか書きたくない”という人に対して,Acknowledgementsの本当の意味を語ってみたりしました.

“本当の”,“本質的”,“真の”といった類の言葉には不思議な説得力があります.そのため,これらの言葉はしばしば詭弁に用いられます.それは,話し手が意図的に用いていることもありますし,話し手自身も気づかずに用いている場合もあります.

「それは本当の○○じゃない」は、何にでも使えてしまう詭弁である。ときに自分自身への詭弁として機能してしまうことがあるので、気をつけるべきである。

・・・(中略)・・・

「本当の○○」という言葉を耳にしたら、まず疑ってみるべきだろう。何にでも使えてしまう言葉であり、裏を返せば空虚で意味のない言葉と考えられる。

Simple:「本当の愛」の詭弁性

抽象的な話題の場合は特に,“本当の”という言葉が出てきたときには一度良く考えてみる必要がありそうです.

「そんなの本当の愛じゃない」などと言ってくる人がいたら、「それは『あなたが理想としている』愛でしょう。『本当の』愛ではない」と言い返すのが良いと思う。

Simple:「本当の愛」の詭弁性