なぜ更新をやめるのか

ここで採取・引用されたダイアリーは、2003年3月-4月頃に最終更新されたパブリックダイアリーをランダムに抜きとったものです。
・・・(中略)・・・
3年以上昔に更新が止まって事実上閉鎖されたダイアリーを読んだ。300人分ぐらい読んでやめた。読んで感じたことは、それが最期の言葉だと意識して終わるダイアリーは必ずしも多くは無い、ということ。多くのダイアリーは、最期の言葉だと意識されないまま、終わる。

更新が止まったダイアリーに書かれた最期の言葉 - ラージアイ・イレブン

何らかの原因で自分から“更新をやめよう”と思って更新をやめる人は,少数ではないのかなと思います.大抵の場合は,最初は2〜3日更新するのサボってしまったのが原因なのですが,そのうち更新することが面倒になって,そのまま何となくフェードアウトが多いような気がします.

更新をやめた理由として“忙しくて更新する暇がなくなった”という言葉をよく聞きますが,この言葉は必ずしも正しい訳ではないのかもしれません.確かに,“最初の2〜3日更新をサボった”理由は忙しかったからなのでしょうが,それが更新を終了した決定的な理由ではないように思います.

先日の学園祭を通じて、またまた僕のサイトが知り合いの複数の女性に読まれている事が発覚してしまったのだが、その際に言われる事として最も多いのが、「毎日よく書く時間が有りますね」という事だ。

しかし大抵の人には歯磨きをする時間が毎日取れるように、日記もやろうと思えば毎日でも書けるものである。毎日パソコンの前に数分から数十分座るだけだ。これは一種の趣味のようなものである。

complex fraction - 下手の横好き

特に日記のように毎日更新する類のサイトは,更新を続けているときはその“更新する作業”が自分の日常のサイクルの中に入り込んでいるので,あまり負担を感じることはありません.しかし,一旦それを休んでしまうと今まで“普通”だと思っていた“毎日更新することの大変さ”を目の当たりにしてしまいます.たとえ今までは“普通”であったとしても,一旦自分にとって“普通”ではなくなったことを再び“普通”に戻すことは非常に困難なことです.

更新を続けているときは,ある種の“魔法にかかった状態”にあります.それをいかに切れないようにするかが,ずっと更新を続けていく上で重要になってくるのではと思います.

何故か?単に面倒になった