ハンドルネームという文化

先日,知り合いに“いろんな所で使っているclownてどういう意味?”と聞かれたので,“clown = 道化師,私がインターネット上で使ってるハンドルネーム”と答えたのですが,このときに驚いたのは,ハンドルネームという言葉を使っても“?”という反応を返されたこと.ハンドルネームを持つことは当たり前,とは言いませんが,その人が情報系の分野の人ということもあって,そういう概念は知ってはいるだろうと思っていたので,この反応は個人的には結構衝撃的でした.一見すると同じような道を進んでいても,興味を持ったタイミングなどバックグラウンドが少しでも異なると,共有できる知識(≒文化)は結構異なってしまうのだな,ということを改めて感じました.

もともと,私がインターネットに興味を持ったきっかけは,金田一少年の事件簿 電脳山荘殺人事件や(タイトルは忘れましたが)パソコン通信を題材としたドラマだったので,実際にインターネットに繋げられるようになるまで“ハンドルネーム”というものに何か強い憧れを抱いていました(初めてインターネットに繋げた時に,まずハンドルネームを考えたりした).また,それ以降も,(非匿名型の)BBSへの書き込み,ネットワークゲーム,そしてこのblogを含む自Webサイト上での行動など“インターネット上での名前”は,私にとっては常に必要なものでした.一方で,必要な情報をGoogleなどを用いて検索する,Yahoo!などでニュースをチェックするなどのような行動しかWeb上では行わない人にとっては,ハンドルネームというものはほとんど不要となります.同じもの(Internet)を利用していても,利用形態によって“当たり前と思っていること”はかなり異なるものになります.

“常識や当たり前ほど危険なものはない”が私の信条なのですが,そう思っていてもどこかで“当たり前”と思っていたりする.なかなか難しいものだな,と思いました.