社会人として最低限の知識とは

高校世界史の必修逃れ問題で、大阪大学が来年度から一般教養課程に、「不完全履修者のための世界史」講義を設けることを決めた。
・・・(中略)・・・
計画では来年4月、主に新入生対象の一般教養の選択科目として、「ヨーロッパ史」と「アジア史」の2コマを開講する。網羅主義や暗記の強要はせず、歴史のダイナミックな流れと最新の学説を教え、社会人として最低限の知識を習得することを目標とする。

阪大が未履修者に“高校世界史”、一般教養で来春開講

“不完全履修者のための世界史”って,一般教育で(世界史の類で)行われていた講義は,今までもそんなもんだった気がするのはともかくとして.

未履修問題で“受験勉強だけが勉強ではない”に関する議論がgdgdになる原因の一つとして,“社会人として最低限の知識”が果たして何なのか?に関する認識が共有されていないことが挙げられる,と思います.

「火星に入る」という表現が何を意図しているか色々と尋ねながら探っていったのだが、「火星上では生きていけない」ということを「火星に入れない」と言っていたことが分かった。さらに彼女に色々尋ねてみて、彼女が天体に関して驚くべきイメージを持っていたことが発覚した。

「眩暈」と呼ばれる処 - 「なぜ火星に入れないの?

例えば,上記のエントリとコメントやはてブなどを見ると,惑星に関する知識やそれに対する正しい理解は“社会人として最低限の知識”に該当するようです.これに関する理解がないと,“だからゆとりは”とか“日本の未来は暗い”とか言われてしまいます,気をつけましょう.

「ウェストファリア・システム」と言っても誰も反応しない。
米西戦争」というようなものがあったことを知らない。
「ハワイの併合」の事情を知らない。
「フィリピンの独立宣言がアメリカ下院でなされたこと」も知らない。
インドシナ半島をフランスと日本が共同統治していたこと」も知らない。

内田樹の研究室: 教育破壊はどこまで続くのか

一方,このエントリに対する反応を見ていると,どうも(この)専門家が考えている世界史の常識は,それ以外の人にとっては“社会人として最低限の知識”ではないようです.世界史に関しては,別のページの“ローマ帝国始皇帝もナポレオンも知らない高卒が現実にいるそうですが、それは情けない限りです。”というコメントがありましたが,この辺りの事項は中学時代で習ってしまうので,“高校の世界史で”社会人として最低限必要な知識かどうか,と問われると少し疑問が残ります.

数学に関しては,“微分積分もできない奴が多すぎる”というコメントを良く見かけます.微積は高校の数学で初めて出てくるので,確かに“高校の数学で”社会人として最低限必要な知識なのでしょう.ですが,地歴に関してはこのような分かりやすいラベルがないため,“世界史は社会人として最低限必要な知識だ”と嘆かれても,“なるほど,それは良く分かった.で,具体的にはどの辺を抑えておけば良いのだろふ?”となってしまうため説得力に欠けてしまいます.

社会人として最低限必要な知識(あるいは常識)を語る際には,まず始めにそれがどの辺に当たるのかについての認識を共有しなければなりません.その認識の共有もあいまいなまま,社会人として最低限必要な知識も身に着けないで,と批判することはあまり有効な方法ではないのでは,と思います.