全ては時と場合による

匿名エントリですが,内容に少し興味が沸いたので.

それと同じように、今の論客ブロガーというのは
多様な価値観が跋扈するインターネットの世界で
ありもしない狭い空間を自分の都合の良いように
定義して、その空間内で相手に対して論争を挑んでいく。
こんなの誰にも求められていないのは明らか。
しかし、そんなことおかまいなしに自分の価値観を押し付ける。
すげー雰囲気悪くなります。

ていうか、ウザいだけ。

http://anond.hatelabo.jp/20070107074218

世の中の問題の多くは,“1か0”のような単純なものではないため,突き詰めてゆくと“それは時と場合による”という結論に落ち着いてしまいます.しかしながら,それではそれら全てのものに対して“それは時と場合によるのだから,議論しても無駄”と片付けられるのかと言うと,なかなかそういう訳にもいきません.なので,いくつかの前提を置いて議論することによって,“ケーススタディ”のような形で問題と解法を蓄積していきます.そして,多くの人々は,その蓄積されたものを“時と場合によって”うまく使い分けていきます.その意味で,そういった議論(というか結論)はそれなりに多くの人々から求められています.

結局のところ,問題なのは“議論をする場が適当かどうか”なのだと思います.例えば,“血液型と性格との関連”などの話にしても,居酒屋で“あんなのは似非科学だ”という事実を叫んだとしても,まわりを白けさせるか“それがB型っぽいのよ!”と返されてしまうだろう,と思います.居酒屋のような場で血液型の話は似非科学と納得させるためには相当にうまく(面白おかしく)しゃべる話術が必要で,そうでないならば“ウヒヒ自己中でサーセンwww”と返して逃げる方が良いと思います.一方で,血液型問題に関して書かれているようなblog上においては,“それがB型っぽいのよ!”などというコメントは価値が低くなるだろう,と思います.

“前提を置いて論争する”奴がウザいのか,“それをウザいと言う”奴がウザいのかについても,それは時と場合によります.重要なのは,各人が,その場ではどのように振舞うのが適切なのかを見極めることだろう,と思います.