○○○が良いとは限らない

ある事柄(X)が良い(もしくは幸せ)とは限らない,という言葉は様々な場面で耳にします.結婚したからと言って幸せとは限らない,勉強ができたって(一流大学に入ったって)良いとは限らない,大手企業に就職したからと言って・・・,etc.こういった類の意見は,何となく納得してしまう一面を持っているため,多用しがちになります.

「論理的に正しくない」と指摘された箇所に関して、論理的でない説明をいくつも用いながら、何とか通そうとする。しかし、論理的でないために相手を説得できず、いつまで経っても認められない状態が続く。そんな状態で出てくるのが、「論理的が必ず良いとは限らない」という発言だ。


・・・(中略)・・・


実際には、自分の意見を通そうと必死なだけで、あまり深く考えずに言うことが多い。それでも、さすがに「論理的はダメ」とは恥ずかしくて言えない。仕方がなく「必ず良いとは限らない」といった微妙な表現を用いる。当然、「どんな条件を満たしたときに論理的が良くないのか」や、「論理的の代わりに、どのような方法で検討するのか」には一切触れない。そして「今回の場合に適用して良い根拠」も示さない。

http://www.st.rim.or.jp/~k-kazuma/TH/TH211.html

この辺りは経験則になりますが,最初に挙げたような言葉が出てくるときも,その多くは当人はあまり深くは考えずにその言葉を使っているように感じます.

Xが良いとは限らない,という意見は正しいと思います.正しいというよりも,何らかの疑問に対して“それは時と場合による”と答えているだけで,その意味では何も答えていないとも言えます.ただ,ここで問題なのは,Xが良いとは限らないと発言している人は,心情的にはそのXに対して否定的であるため,(実際には“どちらとも言えない”ことしか分かっていないにも関わらず)Xに対して否定的な行動を取りがちになってしまうことです.現状ではXが良いのかどうか分かっていないだけなのに,いつの間にかXは悪いと錯覚してしまう,という訳です.

自分がある事柄に対して否定的(かつ,その事柄がそれなりに広く受け入れられている)場合には,ややもすればその事柄ができたとしても良いとは限らないと考えてしまいがちです.ですが,“それができたとしても良いとは限らない”からその事柄を否定してしまうことは非常に危険です.この論調で発言するときは,そのような錯覚に陥らないように気をつけたいものです.