いやなら見るな問題

「いやなら見なければいいのに」と言う言葉を良く聞きます。見なければ(読まなければ)不快になることもないはずと言う論理で、確かに一理あるとは思います。ただ、いつもこの言葉を目にするたびに違和感を覚えます。

いつもおもうんだが嫌なら見るなって無理。読んでしまったそのときにはじめて嫌ってわかるんだから。どこに嫌なもの転がってるかわからん。

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ひとつ目の違和感はこの点だろうと思います。今から見るものが自分にとって嫌なものであるかどうかが分からないため「嫌なら見るな」と言われても困ると。

ただ、これに対しては次のような反論が考えられます。「じゃあ、それ以上関わらなければいい。見たことも忘れてしまって、なかったことにしてしまえ」と。実際に、このような趣旨の発言をする人も多く存在しているように思います。しかし、それにも関わらずそれ(嫌なことにそれ以上関わらない)を実践できない人は数多く存在しています。

「興味がないなら見るな」と言う言葉をあまり聞くことはありません。それは、興味がない人は言われなくても見ないし、たとえ見てしまったとしてもすぐに忘れてしまうからだろうと思います。逆に言うと、「嫌だ」と感じた人は、その時点で既に見た対象に関して非常に興味を抱いていることになります。そう言った人達にとっては、それ以上見るなと言われても難しいですし、見たことを忘れろと言われてもそれは無理な注文だとしか思えないだろうなと思います。

「嫌なら見るな」は方法としては有効かもしれないけれど、それを実践するのは皆が思っている以上に難しいだろうと感じました。