現代の奴隷

上記のエントリを読んでいるうちに,昔読んだ小説の話を思い出しました.あらすじは,以下のような感じだったと思います.出典元を探そうと思ったけど見つけられませんでした.渡辺浩弐著の1999年ゲーム・キッズ系の文庫本のどこかに掲載されているはずですが.

私は,とある会社で働くサラリーマン.

その会社には毎日,自動運転の車で通勤している.会社は都市から離れた場所に建設されているため繁華街に出かけることは難しいが,その代わりに会社の敷地内にはレストランやバーなどの飲食店,プールやジムなどの運動施設が充実している.行動範囲が自宅と会社領域内に限られているので退屈を感じることもあるが,日々の生活は概ね快適であった.私は,今の生活に十分満足していた.

ある日,いつものように会社へ通勤しようとした時,突然,車が故障して暴走を始めてしまった.私はすぐに手動運転に切り替え何とか無事に停車させることができたのだが,気がつくとまったく知らない場所に辿り着いていた.「困ったなぁ,どう考えても遅刻だ.」私はそんなことを考えつつも,車を降りて辺りを散策してみることにした.

そこは絵に描いたような楽園であった.そこに住む人々は何の憂いもなく優雅に日々を楽しんでいる.「こんな生活が送れたら良いのに.」と私はすっかり見入ってしまった.

そうしている内に,向こうの誰かが私に気づいたようだ.ガードマンらしき人がこちらへ向かってきた.私は,必死になって逃げ出したが時はすでに遅く,程なくしてく捕まってしまった.そして,私は捕まると同時に意識を失った.

気がつくと私は車の中にいた.あわてて周りを見渡してみると,そこはいつもの会社の風景だった.私はほっとした.「あぁ,よかった.夢だったのか.」と.もし,あのまま捕まっていたら私は奴隷にされてしまっただろう.奴隷にされたら,きっと私は毎日,通勤して,働いて,食べて,そして寝るだけ,という生活を強いられるのだろう.考えただけでゾっとする.

そして,何かに気がつき私は笑った.

何だ,私はもう奴隷だったのか.

“何かちょっと違う”と言うのが漠然とした感想なのですが,非常に印象に残っています.以前に見つけたロイ・ジョーンズの言葉にも通じるものがあるようにも感じます.

現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。そして、何より驚くべきことに、現代の奴隷は、自らが奴隷であることに気付いてすらいない。それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの唯一の誇りを見い出しさえしている。
(リロイ・ジョーンズ

経営者に必要とされている事は,被雇用者が自分が奴隷的であると感じさせないこと.今も昔も(奴隷に)やらせていることはあまり変わりない(単純作業?)けれども,ひたすら高圧的だった昔とは異なり,現在は最低限のことは気遣うようになった.もしくは,奴隷が仕事に対して何かを見出す(やりがい等)ように工夫するようになった.高度に発達した奴隷商人は優良経営者と見分けがつかない:p

最後は思いつきですが.半分当たってて半分間違ってる.何かそう言ったもやもや感が抜けない話題です.

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