人は何故「多機能化」の魔力に勝てないのか

Appleが昨年大改造したiPod nanoは、カメラが付けばまだ寿命が延びるかもしれない。

音楽専用機のiPodには安楽死が待っている | TechCrunch Japan

人は、「何でもできる」と言う言葉の魔力に非常に弱いものです。「携帯電話は、電話とメールさえできれば良い」と言う意見は根強く聞かれますが、それにも関らず携帯電話はどんどん高機能化・多機能化していきます。何故か?……単純に、「多くの人がそうあって欲しいと願っているから」だろうと思います。

しかし、どれだけ手を加えて、値段を下げても、それはiPodの傷ついた体に巻く包帯にすぎない。最終的には、iPodと言えば’touch’の取れたiPod touchになるだろう。それに、iPod touchもiPhoneも、今後は小型のバージョンが出るだろう。

音楽専用機のiPodには安楽死が待っている | TechCrunch Japan

私たちが iPod 出現当初に待ち望んでいたものこそ、他ならぬ「'touch' の取れたiPod touch」だったのではないかなと思います。当時のデカくてゴチャゴチャした音楽再生機に辟易していたところに颯爽と現れたシンプルな iPod。もちろん、あれ程の大ヒットの裏には他にも様々な要因があったでしょうが、その要因の一つに「シンプルさ」は間違いなくあっただろうと思います。

しかし、人の欲求は留まる事を知りません。いったん望んだものを手に入れたら、すぐに「次はあれも欲しい」と言う欲求が現れます。

あれも欲しい これも欲しい
もっと欲しい もっともっと欲しい
あれもしたい これもしたい
もっとしたい もっともっとしたい

夢 - THE BLUE HEARTS

多機能化には、それ(多機能化と言うこと)自身にデメリットが含まれています。例えば、機能数に比例して操作はどんどん複雑化していきます。「そんなの誰が読むんだ?」と感じる辞書のようなリファレンスに目を通さないと全ての機能を使いこなすことは難しくなくなります。また、携帯機にはバッテリーの問題も存在します。多機能化するにつれて、どうしてもバッテリーの持ちは悪くなります。

しかし、少なくとも「望んでいる間」は、そう言った種々の問題点までは頭が回らないものです。そう言った問題点に気がつくのは、皮肉にも多くの場合「あれほど望んでいたものが実現して手に入れた瞬間」となります。

市場競争原理は、製品の改良を加速する方向に働くため、ある時点までは消費者にとってメリットがあります。しかし、ニーズの臨界点を超えて多機能競争が繰り返されるため、ついには消費者無視の多機能のお化けと化してしまい、消費者からそっぽを向かれる商品に成り果てることが多いと思います。

http://www.dw-sapporo.co.jp/30ed/blog/30a430ce30fc30b730e730f3306e30ec30f330de3068

イノベーションのジレンマと言う言葉にも通じますが、世の中の製品は「何でもできるものが欲しい」と言う欲求と「こんなはずじゃなかった」と言う後悔の連続で回っています。バランスの良い位置で留まることができれば良いのになぁと期待するのですが、なかなか難しいようです。