そして「馬鹿」と言う意味だけが残った

愚かしい行動をした人たちを「笑いものにする」「バカ呼ばわりする」ことの是非は簡単に決められないが、それとは別に北沢かえる氏の「情弱」という言葉の使い方、笑いものにするやり方には違和感を覚える。私自身は使ったことのない言葉だが、「情弱」は「情報弱者」の略語に違いない。「情報弱者」の辞書的な定義はこうだ。

パソコンやインターネットなど情報通信技術の利用について,困難を抱える人の総称。情報通信環境から離れている人(地方住民・低所得者など)や,操作が困難な人(高齢者・障害者など)をさす。通常利用者との社会的格差が生じると指摘されている。

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/220586/m0u/

どこにも侮蔑され笑われるような要素はない。「情報通信技術の利用について、困難を抱える人」は基本的に社会の同情や支援の対象でこそあれ、自称情報強者がバカにしてストレスを発散するオモチャではない。

「情弱」という言葉 - 玄倉川の岸辺

Web 上で様々な文章を見るようになって、ここで紹介されている「情弱」、「池沼」以外にも、数多くの蔑称(と思われる言葉)を目にしてきました。「DQN」、「ニート」、「ゆとり」、「スイーツ(笑)」、「ガラパゴス」、「老害」、「マスゴミ」、……。これらの単語は、最初から蔑称として登場したものもあれば、元々は別の問題提起のために使用されていた単語が蔑称として使われるようになったものも存在します。

こういった類の言葉は、いったん蔑称として使われ始めると、当初の問題提起などに込められていた意味が著しく薄れてしまうと言う特徴があります。例えば、現在において「ゆとり」、「スイーツ(笑)」、「ガラパゴス」と言う言葉が使われる場面は多くの場合、自分が嘲笑し馬鹿にしたい対象が「年下っぽく見えるか」、「女性っぽく見えるか」、「日本製品(日本企業)か」の違いしかなく、主張の内容自体は「お前は馬鹿だ」程度の意味しか含まれていません。

これをどう捉えるかは非常に難しいところです。実際問題として、例えば、「これだからゆとりは!」のような罵倒は日常会話においてもそれなりの頻度で耳にしますし、場合によっては私自身も意識せずに使っている可能性もあります。現実世界での会話ですらこう言った状況なので、チャットなどによる会話は推して知るべしと言うところでしょうか。ある蔑称を使っている人たちを見て軽蔑する一方で、べつの場面では自分もやっている事は大して変わらないと言うのはよくある話です。

蔑称とどう付き合っていくかに関しては、以下の指摘が印象に残りました。

そもそもこの言葉自体あまり好ましくないものだが、もしどうしても使いたい場合には、あくまで匿名性の高いネット上だからこそ普及している言葉であることを忘れてはいけない。

万が一真面目なフォーラムやリアルで「うはwwあいつマジ池沼www」などと口走ったりすれば、常識や倫理を疑われるのはあなた自身ということになるだろう。

池沼とは (チショウとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

匿名性の高いネットだから(使っても良い)と言う主張自体には賛否があると思いますが、結局のところ、使う場面を自分でよく考えるしかないと言うのは正しいように感じます。例えば、何らかの自分の主張を伝えたいような文章に蔑称が含まれていたりすると、それだけで読者は穿った見方で文章を読んでしまいます。蔑称(または過激な言葉)を文章に混ぜる事は多くの人の注意を引き付けるテクニックの一つ(所謂、釣り記事)なので、「使うべきでないかどうか」は文章を書いた人の目的によりますが、何か真摯に伝えたいことがあるならばあまり使うべきではないだろうなと言うのが私の感想です。

「蔑称なんて廃れてしまえば良いのに」と言う憤りもしばしば耳にしますし私自身もよく思ったりしますが、それに反して廃れないのは、それだけ多くの人が蔑称を欲している証でもあります。そう言った、あまり直視したくないような複雑なものとうまく付き合うのは、なかなか難しいと感じました。