選挙の世代別投票率に関する検討

先の東京都知事選挙に関して,世代別での投票に関してネット上で喧嘩が起こっていました.これを見ながら,「選挙の世代別投票率」に少し考えてみたのでここに纏めてみます.サンプルとして使用したのは,下図の衆議院議員選挙年齢別投票率の推移です.


※矢印は筆者による補足

http://www.akaruisenkyo.or.jp/070various/sg_nenrei.html

この中で,第41回(平成8年10月20日)と第44回(平成17年9月11日)に着目します.第41回から第44回までにおよそ10年経過しているので,第41回のときの 20代,30代,... の世代は,ほぼ第44回の 30代,40代,... の世代に対応していると言えます.

第41回における各世代の 10年後の投票率の増加率は,20代 23.37%,30代 14.45%,40代 12.34%,50代 12.47% となります.これを見ると,20代の増加率が際立っている事が分かります.第41回の投票率が 59.65%, 第44回の投票率が 67.51% なので,この間の「政治に対するの関心の向上」による投票率の増加は 8% 程度であろうと推測されます.したがって,残りの増加率は「政治に対するの関心の向上」以外の要素が絡んでいる事になります.

社会のしがらみによって増加する投票率

「政治に対する関心の向上」以外の要素として「企業や住んでいる地域社会のしがらみ」が考えられます.私の知っている範囲でも,例えば,私の母親などは「投票していない事がバレたら(付き合いのある人達に)何を言われるか分からないから行く」と言う事を言っていた事がありました.また,知り合いなどで「会社から選挙に関して(暗黙のノルマを課されたので?),親戚,友達を駆け回ってお願いしている」と言う光景を見たこともあります.

そこまで極端な話ではなくとも,世間一般では「投票に行かない事は悪」と言うイメージが強いです.

都知事選については「関心がある」と答えた有権者は90.7%。期日前・不在者投票を済ませたか、投票に「必ず行く」「たぶん行く」と回答した有権者は合わせて96.8%に上った。

時事ドットコム:東京は石原氏が大きくリード=東国原氏らが追う−12知事・4政令市長選【統一選】

この調査では投票する気があると回答した人は 96.8% にものぼっていますが,実際の投票率は 57.8% だったようです.調査時に「たぶん行かない」と思ってる人が「行かない」と素直に回答できないのは「投票に行かない事は悪」と言う世間一般に根付いているイメージも影響しているのだろうと予想されます.

こう言った背景もあるため,組織や地域社会に属するようになると暗黙のプレッシャーから「批判されないために行っておく」と言う選択肢を取る人は増えていく事が考えられます.年代が上がるにつれて投票率が増加し続けるのは,この「社会のしがらみ」によって底上げされる(下駄を履かせられる)値がどんどん大きくなる事も大きな要因の一つとして考えられます.

30 代だけ投票率が下落した謎

「社会のしがらみ」に関してもう一つ興味深いデータとして,第41回と第43回の世代別投票率の増減が 20代 -1.2%,40代 -0.74%,50代 -0.6%,60代 0.64%,70代 0.91% とほぼ横ばいなのに対して,30 代だけ -6.77% とかなり下落している事が分かります.
これを「30 代だけ政治への関心がなくなった」と結論付けるのは無理があるように思えます.


※矢印は筆者による補足

http://www.akaruisenkyo.or.jp/070various/sg_nenrei.html

この「30代だけ投票率が下落した」原因として考えられるものとして,非正規雇用が増えたため会社などの組織との関わりが薄くなり,「社会のしがらみ」が減ったからと言うものが考えられます.以下の図は,有効求人数と有効求職者数を比較したものです.

http://finalrich.com/guide/20/guide20-condition-working-type.html

これを見ると,1993年に求職者数が求人数が上回っています.所謂「就職氷河期」が始まったのが 1993年のようです.そして,第43回の衆議院議員選挙が行われたのが平成15年(2003年)11月9日とちょうどこの「就職氷河期」の 10年後に当たります.すなわち,就職氷河期」に直面した最初の世代が 30代として投票したのがこの第43回の衆議院議員選挙になります.この結果からも,組織などの「社会のしがらみ」によって否応なしに投票している人によって投票率が底上げされている(下駄を履かされている)事が推測できます.

投票率の下駄」に各人のやる気だけで対抗するのは現実的ではない

ネット上を見ても,若い世代の投票率の低さを嘆くものは数多く見つける事ができます.これが若者へ投票を促すための方便であるならば良いのですが,記事によっては「若者の投票率が低いのだから政策が老人寄りになるのは仕方ない」などの論調のものも見受けられます.

この国の政治体制が民主主義を標榜する以上、より多くの有権者の声を汲むのが為政者の務めだし、そのプロセスとして選挙は重要な役割を担っているわけで、その選挙においてこれだけ声の違いがあるとしたら、為政者としてはより人数の多いほうを向いた政策を*1選択する頻度が高くなるだろう。また、たくさんの票を投じてくれる世代の有権者がわかりやすく納得できそうな政治に傾くだろう。そう考えると、現在の世代間投票率格差のある限り、「年寄り向きっぽい」「年寄りが納得しやすい」政策決定に(相対的にとはいえ)傾くのは民主主義的には案外妥当性の高いことのようにみえる。

現在の世代別投票率が続く限り「高齢者のほうを向いた政策」は終わらない - シロクマの屑籠

これは一見正しい意見のように見えます.しかし,実際には年齢が上がるにつれて「社会のしがらみ」など「政治への関心」以外の要因から投票率が底上げされている事が考えられ,この底上げに対して各人の政治的関心と言う「やる気」のみで対抗するには無理があります.若者から見れば,一見正しいような意見を基にして「要は勇気が自己責任!」と(ほぼ勝ち目のない)非常に分の悪い戦いを無理やり押し付けられていると見ることもできます.

社会学者のマックス・ウェーバーは、支配する力(権力)を、4つに分類した。

  • 自発的服従
  • 説得による支配
  • 威嚇による支配
  • 暴力による支配

選挙によって選ばれた支配者による支配は、「説得による支配」である。「みんなが選んだ人だから」という単純だが強力な説得力をもつ理由によって、大衆を支配できるのである。

これはある意味で「暴力による支配」よりも恐ろしい。なまじ説得力があるだけに、大衆は反抗できにくい。かつて青島都知事が、「みんなが私を選んだのだから、私の公約である『都市博の中止』は実行して当然」と言い、実際に都市博は中止になった。その結果の良し悪しは置いといて、「みんなが選んだ」という事実に基づいた支配は、説得力があるだけに、大衆は逆らいにくいのである。

等しく選挙権が与えられている本当の理由

見た目のデータだけで論じるのは危険

世代間投票率に関しては,非常に分かりやすい構図(若者ほど投票率が著しく低い)が見えるため,ややもするとこのデータだけで何かを言いがちになります.しかし,こう言ったデータの中には先にも述べたような様々な要因が複雑に絡んでいます.なので,こう言ったデータで何かを語るのであれば,思いつきと感情だけで適当なことを言うのではなく,その結果に含まれる様々な要因をもう少しきちんと検討した上で何かを語ってほしいなぁと感じました.

社会調査の結果として表れてくるデータには嘘が含まれる。だからと言って情報を無視してしまうのではなく、嘘も織り込みずみでデータを読んでいくことが重要だろう。

統計データは現実を反映した鏡だ。だけどその鏡は歪んでいたり割れていることもある。その歪んだ鏡に映し出された「虚像」から、現実の有り様を探っていく所が面白い。

人は嘘をつく -過大申告する男性-