満足感を売る仕事

今年の誕生日はいろいろあって 高そうなホテル高そうなレストラン で祝ってもらったのですが、そのレストランのウェイトレスの接客で非常に印象深い出来事が二つありました。

一つ目は料理を食べている最中の事で、「あの星って今、見えるのかな。……と言うか、東ってどっちだっけ?」みたいな会話をしていたのですが、しばらくするとウェイトレスの方が料理か何かをもってくる時に、一言「東はあちらの方角になります」と教えてくれたと言うものでした。

二つ目は料理を食べ終わった後のコーヒーが出される時の事で、ウェイトレスの方がコーヒーを運んでくるときに「スタッフからです」と言って誕生日祝いに花とケーキのプレゼントを頂いたと言うものでした。お店を取ってくれた相手の人も驚いていたので後で聞いてみると「誕生祝い目的」と言う事は店側には一言も伝えてなかったそうです。

ウェイトレスの方が料理の配膳等の仕事をしながら「客が何をしゃべっていたのか」と言う事も把握し、差し支えないレベルでサポートすると言う接客を見ながら、「ただ単に美味しい料理を売るだけじゃないんだなぁ」と、どちらの時も相手の人と会話が弾んだ事を覚えています。

心の余裕とサービスの質

現状の自分では場違いな場所で食事をして思った事は、あの類の満足感を売るようなサービスで勝負する領域では、サービス提供者と客、双方に「心の余裕」みたいなものが必要と言うものでした。

ある程度の金額(例えば、食事だと万単位のものとか)になってくると、「元が取れるか」と言う観点で見てしまうと、どうしても分が悪くなってしまいます。そう言った物理的に見れば元が取れないような領域で「もう一度来たい」と思わせるには「客の満足感に繋がるような何か」が必要になります。実際、上記のレストランで食事した後には「また来たいと思うよねぇ」と言う話で盛り上がりました。この会話は、「料理が美味しかった」だけでは恐らく生まれなかっただろうと思います。

そして、こう言った形態が成り立つには客側にもそれなりの(満足感にお金を払えるだけの)心の余裕が必要となります。客側に「満足感」に対してお金が払えなくなると、提供者側も安価にする代わりにそう言った「満足感」の部分を簡素化すると言う選択肢を取らざるを得なくなり(提供者側にも余裕がなくなる)、このスパイラルが続く事で目に見えないような満足感を売るためのサービスがどんどんと消えていきます。残念な事に、現在の日本全体の経済状況だとそう言った余裕を持てる人は確実に減少してきており、上記の「目には見えないような満足感」を提供するサービスも消えていくのだろう感じました。

今回のような体験は、自分の日常の範囲内では知り得る事のできないもので非常に有意義でした。上記のようなものが自分の日常になる事はあり得ないでしょうし、もしたとえできたとしても日常にはしたくないと思うのですが、ああ言った「効率」とか「コストパフォーマンス」のような観点では評価できない領域がある事は覚えておきたいと思います。