アルファブロガーはネガティブな事を書かない

Webで毒々しい発言を繰り返す人たち - このブログは証明できない。 を読みながら「アルファブロガーはネガティブな事を書かない」と言う言葉を思い出しました.今までにも何度かこの言葉を思い出してその度に出典元を探していたのですが,どうやらアルファブロガー 11人の人気ブロガーが語る成功するウェブログの秘訣とインターネットのこれからと言う書籍のインタビュー中に出た言葉のようです.

そんなバラバラな中にも、ネガティブな書き方は避けるという共通点が、何人かにありました。

  • 「ネタフル」のコグレマサトさん … プレッシャーというよりも、書く内容には気をつけます。政治の話は書かないとか、基本的に悪いことは書かないようにしていますし、悪いニュースでも最終的には良い方向になるように書いています。
  • 「On Off and Beyond」の渡辺千賀さん … 否定的なことは極力書かない。好き嫌いというのは表裏一体で、「Xが好き」という裏側には「Yが嫌い」というのがあるわけですが、「Yが嫌い」を書く代わりに「Xが好き」というのを書くように気をつけています。
  • 「情報考学 Passion For The Future」の橋本大也さん … ネガティブなことを書きはじめると、自分に返ってくることが多くていけません。自分自身ネガティブな考えになったり、それによって反論されたり、人間関係が壊れるとか、思わぬ展開があって、何か悪いことを書くと世の中つながっているので、いろいろな形でこっちに返ってくるんですよ。それがイヤになる理由のような気がしています。

また、ブログの秘訣に関して、「ネガティブなことを書かない」というのは、「百式」の田口さんと意見が一致したとのこと。

http://claimant.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-31bd.html

いずれも精神論と言うか心構え的な話でちょっとピンと来なかったと言うのが本音ですが,個人的には単純にネガティブな事を書くのは難しいのかなと言う気がしています.

「ちょっと慣れると本当に直感的ですねー。英語なまりで『ウァオ!ヤバい!革新的!!クレイジー!!スグレ技!!!』とつい口走ってしまいましたよ」

とまでリップサービスしておけば、さらに完璧。相手は信者ですので、絶賛なら少々の違和感は気にしないでしょうし、オチとして「でも『世界で使えて自宅が圏外』だと乗り換えはちょっと」とでも言っておけば、Apple社の責任ではなくなるので角が立たなくて済みます。

「Apple信者」にその素晴らしさを熱く語られたときの平和で適当なかわし方 - conflict error

上記はネタ記事中の一文ですが,絶賛と言うかポジティブな記事であれば,大きな注目を集めていない限りは,論の組み立てが少々おかしくても何となくスルーされるような印象があります.もう少し言うと,「ポジティブな記事」と「ネガティブな記事」は読者の集まり方にも差があるような気がしています.

これは,鏡の法則で見るアンチ生成の仕組み - Life like a clown の時に感じた事で,この時は書き方が微妙だったのでいろいろ批判も頂いたのですが,美談と言うか「ポジティブな記事」は,反響の少ないうちは,該当記事に賛同できない読者の多くは「そもそも読まない」か「少しだけ読んで閉じる」のようにスルー的な行動(無関心)を取るのではないかと予想しています.その結果,公開当初は記事に賛同するような反響で埋まると言う現象が発生しますが,これがある程以上の(肯定的な)反響を得るようになると,その記事自体に加えて肯定的な反響で埋め尽くされている場の空気を「気持ち悪い」と感じ始め,それまでスルーしていたであろう賛同できなかった層や何とも思わなかった層が批判的な意見を述べ始める,と言うステップを踏みます.

一方で,何らかの事柄への批判などの「ネガティブな記事」については,反響が少ないうちでも元の事柄に肯定的な印象を持っている人達による反論を受ける事になります.その結果として,「ネガティブな記事」の方が批判・反論がコメント等を通じて Web 上に文章として可視化してしまう可能性が高くなります.

別の要因として,(突発的な)批判記事を書くときは自分にとって不快な記事を見た直後である場合も多く,冷静な状態で記事を書くことができないため細かい部分で粗が多いと言う事もあるかと思います.いずれにしても,「ネガティブな記事」をある程度の説得力を持たせつつ書き上げると言うのは予想以上に大変な作業であるため,避けがちになるのかなぁと言う気がしました.