英語との付き合い方

開発者のマシンを英語環境にしない理由はもはや一つもない - Hidden in Plain Sight より(この記事で具体的に書かれている事については,「英語キーボード」や「英語メニュー」であっても日本語の場合と大差ないので「どっちでもいい」以上の感想はないですが).

この記事だけではないですが,「英語の重要性」に関しては今も昔も様々なところで語られています.実際,プログラマ(ソフトウェア・エンジニア)として仕事をする場合でも,何らかの規格書や論文,技術文書を読む際には英語を読まなければならない場合も多々ありますし,バグ報告や修正パッチの報告などをする際には多くの場合,英語で報告する必要があります.プログラミングの作業に限定せずとも,海外の人達と仕事をする機会も増えているので,それに伴って英語で会話しなければならない場面も増える事でしょう.

ただ,だからと言って全てのものを英語でこなすと言うのはかなりの労力を強いられます.私も英語の文書を読む(読まなければならない)機会はたくさんありますし,自分の領域に近い文書であれば,辞書なしでも大体の意味を理解する事はできますが,それでもやはり日本語の文書を読んでいる時とでは理解する速度にはかなりの差があります.常日頃からどれ位英語に接しているかによってこの差は縮める事ができますが,完全に同じとは(なかなか)いきません.

この事は英語の重要性を主張している人の多くが,通常時は「日本語で」情報発信している事からも伺えます.日本語で情報を発信する理由として「日本人への啓蒙」も考えられますが,日本語で記述する事と英語で記述する事の労力の差はやはり無視できません.

英語ネイティブではない学習者にはさらに、言語の障壁という問題が立ちはだかる。選択肢は、英語の原書を読むか、翻訳に頼るかである。ワシも、コンピューターサイエンスを学ぼうとしたとき、この難しい選択を迫られた。ワシは当時、英語の本と格闘することを選んだ。なぜなら、ワシの興味の対象について解説した良書は、英語の方がはるかに多かったからだ。結果的に、ワシは英語を苦にしなくなった。

しかし、初心者には、母国語の参考書の方が最適であると思う。英語の読み書きは、国際的に活動する必要が生じてから始めればよい。ことにプログラミングとC++に関しては、生徒の母国語というのは大抵、翻訳された言葉である。これは、翻訳者の能力が重要になってくる。技術書の翻訳は難しい。しかも、初心者向けの本の翻訳で、意味の正確さと、文章の分かりやすさの両方を達成するのは容易ではない。翻訳者は、技術的な知識を有し、しかも文章がうまくなければならない。このような能力を兼ね備えた教師というものはなかなかいない。

Bjarne Stroustrupへのインタビュー - プログラミングの魔導書 〜Programmers Grimoire〜 Vol.1

英語と付き合う場合,「実務として必要」なのか「英語のトレーニングとして接している」のかは意識していた方が良いと思います.日本語でできる作業を英語でやっていると言う事は「英語のトレーニング」を兼ねている事になりますが,その分,余計な時間を使用しています.「実務をこなしながら英語のトレーニングもできて一石二鳥」のつもりが「常に縛りプレイで本業のパフォーマンスも微妙な二兎を追うもの一兎も得ず状態」にならないように注意する必要があります.

自分のリソースは有限なので,手を抜ける部分は手を抜く事も大切です.また,一人で全てを解決しようとせず,他人の力を借りられる部分は力を借りる事も重要となってきます.例えば,日本にも多くの海外の人達がやってきており,日本語の読み書きや会話もある程度(あるいは,問題なく)行える人達もたくさん存在します.本気で海外シェアも視野を入れた Web アプリを作るのであれば,こう言った人達の力を借りるのが恐らくは近道であろうと思います.