愚痴の話題の選び方

最近、「愚痴の話題の選び方」について考えたりします。

誰々は幸せそうだとかそういう毒気の無いものならともかく、その場にいない人を引っ張り出して
「付き合って4ヶ月も経つのにセックスしてねぇとかありえん」
「彼女の方は他の男を知らん女だから、違う男に釣られたらすぐなびいて終了する」
「互いに束縛するとか無理、あんなにベタベタなのとか無理、考えられない頭おかしいんじゃないの」
お前らそんなに蔑みたいか、もっと他に話すこと無いのか、他人事だしほっといてやろうという発想はないのか

ガールズトーク

まず、私自身は「愚痴を言う」と言う行為自体は大切なものだと考えています。ただし、愚痴を言う際には「相手」と「話題」の選定が重要になり、「相手」や「話題」を間違えると必要以上に自分の評価を落とす事にも繋がります。愚痴を言う「相手」に関しては、お互いにきちんと信頼関係が築けている人、もしくは逆にまったく関係のない人辺りになると思うので、個人的な興味としては「話題の選定方法」の方が強いです。

岡田斗司夫の『フロン』(海拓舎 2001)を読んでいる。彼は、自分のテレビ出演の経験から、次の事を知った。

  • 男は天下国家しか語らない。(日本人は〜、経済は〜、歴史的に見て〜、企業とはかくあるべき〜)
  • 女は下世話しか語らない。(ダンナは〜、最近息子が〜、隣の奥さんは〜、恋愛って〜)

仕事をしている男性と、家庭の中にいることの多い女性との違いだろう。Web の日記を読んでも、岡田の指摘している事は、当てはまると思う。

男は天下国家を語る。女は下世話しか語らない。

話題の選定については、しばしば男女差がある事が指摘されます。ただ、上記の例を見ても思いますが、よく言われる「男女差」は正確には「30代くらいの既婚男女(女性は専業主婦)の男女差」と言う気がします。

例えば、今の職場の関係上、自分よりもだいぶ若い人(20代前半〜半ばの男性)と飲んだり喋ったりする事が多いのですが、このときに話題になるものは恋愛関係のものが多いです。自分が経験した限りでは、そこまでエグいような話は出ないのですが、感覚的にはどちらかと言うと最初のガールズトークの例に近いと言う印象があります。逆に、ネット上を眺めていると政治・経済関係の話題をよく目にしますが、自分が普段目にしている Web サービスのユーザの平均年齢は軒並み高いと言う調査結果が出ています*1

媒体の差もありますが、年齢が上がるにつれて話題の対象が「恋愛」から「政治・経済」のようなものに移っていくのは、少なからずの人が結婚する事によって「恋愛」と言うものが「自分には関係ないもの」になっていくからと言う気もします。

情報を共有している無難な話題

もう一つは、行動範囲の差(接する人の種類の差)に由来するのかもと言う気がしました。以前に、「主語が大きい」問題 と言う記事で「主語を大きくしておいた方がトラブルになりにくい」と言う話をしました。先に挙げた 男は天下国家を語る。女は下世話しか語らない。 の例を見ると、全体的に男性の選ぶ話題の方が「主語が大きい」と言う特徴があります。

また、世代に理由を押し付けた方が、何かと平和的で安心できる。もしも本当の理由を言ってしまえば、トラブルの火になりかねない。学歴や所属による階層差の話題はある種の緊張感を生む場合が少なくないし、階層差や能力差を意識すれば、自分自身もそれによって傷つく。

人にとって安心するのは、時代や世代のせいにすることなのだろう。

世代差ではなく個人差や階層差

なまじ適切な主語の大きさを選んでしまうと、選んだ主語に属している人達とのトラブルの元になりかねないと言う事が考えられます。最初の例の記事のタイトルにも明示されてあるように、この類の話は「愚痴」に分類されるものが多いように感じます。ある問題を真剣に考えるような場合ではなく愚痴のように「自分の不満を聞いてほしい」だけの場合には、ある程度主語を大きくして批判対象をぼかしておく事も(時には)必要となります。

「主語が大きい」問題 - Life like a clown

愚痴を言う場合、その愚痴の内容がある程度は相手にも伝わるような内容である必要があります。しかし、あまりにも両者にとって密接に関係のある話題を取り上げるのは危険が伴います。会社で働く人と学生や専業主婦とを比較した場合、前者の方が多種多様な人と付き合う事が多くなりがちです。そのため、あまり身近な話題を出してしまうとトラブルの火種に成りかねないので、だんだんと「あまり自分(と相手)には直接関係ないもの」に話題が移っていくのかなと言う気がしました。

「無責任で無難に叩ける話題」が必要とされている

「愚痴」を言う際には、何も考えなくても良いようにできるだけ無責任に叩ける対象が必要となります。この意味では、例えば「犯罪事件」などはこの需要を満たしてくれます。

被害者や被害者の家族には悪いが、結果として社会に対して有益である事実に変わりはない。現に、凶悪犯罪であればあるほど、

  • 退屈しのぎになる
  • 話のネタになる

という事実がある。犯人はこれらを意図していないし、また認知していない場合も多いだろう。もちろん、娯楽を提供するために犯罪を犯したわけではない。

凶悪犯罪ほど娯楽になる

何らかの犯罪が発生する度に、各メディアが関連する事項を嬉々として報道する姿をよく見かけますが、それだけ「無責任で無難に叩ける話題」が必要とされているのだろうなと言う気がします。